イタリアの「エノガストロノミー」
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市場の香り
 
親指の形をした果肉がしっかりしたトマト 保存用種類
大きな鍋にたっぷりのお湯を沸かし、サッと湯通しする。そのあと漉器に通し瓶詰め。煮沸殺菌をおこない保存。各家庭それぞれの作り方がある。



 野菜・ハーブなど冬期間は別にして、温室栽培より路地栽培物を好むイタリアでは消費者も実際良し悪しを手にとって確認できる露天公設市場で求めることを今も好んでいる。露天市場ではパック詰めにされた野菜などは無いに等しいので香りも一際立ち上がってくる。
 
 初めて嗅いだ香りのなかで特に印象付けられたのは、六月のローマ中央市場・野菜売り場一面に漂うバジリコの香りであった。イタリア野菜の基礎知識があって通い始めた訳ではなかったのでどれから何の香りがしてくるということは全く解らなかった。

 市場の中を台車を押して多めに買い集める野菜類は決まったものであったが、市場でたった一人の日本人であったので買ったことのない売り場の人とも挨拶を交わしたり顔なじみになると、野菜類の名前とイタリア語の発音を教えてくれるようになった。

 Prezzemolo (プレッツェモロー・イタリアンパセリ)の re のところは巻き舌、Roma も最初のro のところで巻き舌で発音せよと繰り返し教えられた。夏暑いとき、ビール片手にこれはなんと発音すると先方は問う。ビールはBirra だから当然などと考えていると、遅いと罵声を浴びせるような人格無視の無茶な教え方でもあった。

 南欧のローマにも肌寒さを感ずるようになると、強いオレンジの香りが市場に立ち込め始めた。シシリー島産のマンダランチョーと教えられた。種無しオレンジはまだ珍しい時代であり、出回る期間も短かった。
 
 パンテオンの近くに在ったDrogheria (ドロゲリア・主に各種種子油、香辛料など扱う食料雑貨店)の間口が狭く薄暗い店内に一歩踏み込むと、各種香辛料の入り混じった香りに身をつつまれ、遠い異国の香りとはこういうのを指すのかななどと想像を膨らませたりもした。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ空港に降り立ち、初めてあの真っ青なローマの空を見上げたときから四十年を越す月日が流れても、私にとってバジリコの香りが鼻腔を刺激すれば初夏と感じ、シシリー島から運ばれて来たマンダリンオレンジの甘い香りが漂うと今年も冬を迎える季節到来かと、このふたつの香りは季節のくぎりを教えてくれる香りでもある。

 ローマ中央市場には二年半通った。
 早朝のローマの四季を車窓から見ることが出来た時間でもあった。
 スペイン広場前やそのまん前の高級ブランド品ブティック街であるコンドティ通りを市バスが通っていた時代であり、ひとつの職業を生涯続けられる基礎をつくってくれた時であり、私には今でもあのローマ中央市場の喧騒が聞こえてくるくらい印象に残っている。
  

野沢 寛夫
 




業務用ではなく一般客向けトマトソース用  この量が半日で捌けている






人気のサラダ用トマト  Cuore di Bue
形が牛の心臓に似ているところからまさにその名で呼ばれている

掲載写真は3枚共、ピエモンテ州アスティ公設露天市場で撮影。




野うさぎ名前は、ウサ吉
 
2010年4月23日 大きくなった野うさぎ・ウサ吉



 七月の半ば過ぎころから研修施設のあるお城への行き帰り、未だ小さい野うさぎが道の端にちょこんと座っているのに出会うようになった。

 私の車が傍を通るのをぎりぎりまで待っていて、突然猛烈なダッシュをかけて前を横切っていく。
 その様子は、手のひらにのるような小さいながらも大胆で、どんなもんだい早いだろう!と云わんばかりの態度にも見え、回数が重なるとハッとさせられるより思わず可笑しくなってしまうのである。

 道端に座っている姿が見えないときなど、小さいので天敵のネコなどにやられたかなと思ったりする。しかし、今日十一日の夕方も、暁の特急を思わす素晴らしいスピードで横切っていったので生きていたかと安心した。

 野うさぎの特性なのであろう、生まれて幾ばくも経たない小さいときにすでに親から離れ、単独で過ごし大きくなっていく。不審な気配がしない限り、何時間でもじっと同じ方向を向いているのもごく身近でみて知った。

 小さいときから野原を動き廻っているものばかりおもっていた。実際はそうではないなどの特性を知り得るようになったきっかけは、一昨年の春頃家に一匹居つくようになったからである。
 縄張り意識が強く、巣は作らず、馴らすことは難しいなどは、そのあとネットで調べて知った。

 薪を積んでいる処でじっとしているのを見かけるようになり、朝や夕方、私が近くを通るとサッと隙間に身を隠すのであった。

 にんじんが好きだと教えてもらった。しかし未だ小さいので細めのを四つに切り、朝出かけるとき置いておくと夕方戻ったときにはなくなっていた。
 私はこの生まれて間もない野うさぎ、雌雄は分らないがウサ吉という名前で呼び始めた。

 ニンジンを毎朝きまった場所に置いていくようにした。
 お城でマスターコース研修期間が開かれている二ヶ月間続けた。成長するに従い毎日北緯45度の方向ばかり向いている訳でもなくなり、定位置に姿を見かけなくなることが出始め、ニンジンが乾ききってしまう回数も増えてきた。

 そんななか、私がニンジンを置くのを離れたところから見ていて走ってくることもあったりした。
 五月末、長期研修が終了し私は日本へ戻った。やわらかな陽光の朝であった。

 七月初旬まで居なかった間、雑草だけが伸びていた。戻った翌日、僅かに期待して再開してみたニンジン置き。無くなっていることもあったが、大概はそのままになっており瑞々しさが失っているだけであった。

 一年過ぎた同じ春の頃、薪を積んでいる付近で時折見かけることがありニンジンを置いてみた。
 食べている際、近くまで寄ってカメラに収めても逃げなかった。その朝以来出会っていない。

  そして再度周ってきた春もすでに遠くに過ぎ去り、夏の陽射しにも最盛期の粗い強さは感じられなくなった今年、いつも同じ方向を向きじっと動かなかった、けなげでちいさな姿は、日中、留守は守っていますという様にも感じられ、あらたな朝を迎えることに張りを持たせてくれた要素であったと今になれば思うのである。

 寒暖が行きし戻りしつつも、少しずつ温かい空気が漂うようになり始めた頃から、夏を感じさせ満天の星のもと小さな動物と平安をともにした日々、僅かであったがゆえ忘れ難い思いとして心に残っている。


 野沢 寛夫

 
モッタのピーマン
 
トリノ近郊カルマニョーラ産ピーマン


 コスティリオーレから丘陵を下りて行ったところにモッタという集落がある。
 ポー河の支流ターナロ川が近くに流れている。この川はこれまで秋の雨季の時期になんども洪水を引き起こし、運ばれてきた土砂が堆積層を構成する結果となった。

 この土壌が野菜栽培に適し、モッタは野菜類なかでも夏に旬を迎える甘く肉厚のピーマン栽培地として、州都トリノ近郊に在る町、カルマニョーラと共に知られるようになった。

 ピエモンテで一度でもあの長く厳しい冬を経験すると、夏の時期、持て余すほど一度に収穫時期をむかえる野菜類や果物類を、なんとか冬に備え保存できないかと考えるようになるのは当然のことである。

 ピーマンも焼いて皮をむき、オイル漬けや酢漬けにして長期保存可能にした。
 流通が発達し物が豊富に出回るようになった今日においても、家族総出で取り掛かるこの作業は、一時期のように盛んではなくなったにしても面々と続けられている。

 彩り豊かなピーマンは暑い時期に実る野菜、いわば季節ものであったのが1990年当初からオランダで温室栽培された品が通年市場に出回るようになってきた。

 日本では輸入会社がパプリカという名で販売するようになってきて以来、ピーマンという従来の呼び名から交代する結果となり、定着したといっても過言ではない。
 イタリア国内でも初めの頃は大都市、特にミラノ、ボローニャ郊外に大型ショッピングセンターがオープンするようになると、季節もののピーマンは徐々に劣勢にまわるようになり、生産量は減る一方の結果となった。

 売れなくなってしまったのに綿々と固執せず現実的な農家はピーマンから園芸に徐々にシフト。
 これが成功をおさめ、今ではアルプスを越えたオランダ始めとする諸国に花を売り、オランダからの温室ピーマンがスーパーマーケットに並んでいるという以前の逆状態。

 それでもモッタには度重なり受けてきた大水害に屈することなく、葉物・根物類野菜、特にピーマン栽培にかけては先駆者でありその品質が消費者から普遍的評価されているという意地と誇りがある。
 毎年8月にはピーマン感謝祭を欠かさず開き、2011年の今年は第66回目を迎えている。




第66回モッタ・ピーマン感謝祭のポスター


 旬の野菜が一番おいしいのは自明の理。一般家庭では保存食以外にどのようにしてこの野菜を食べているのか知りたくなるのは当然。私が住んでいる地域でいちばん普及している、ピーマンに詰め物した料理方法をご紹介します。

 ピーマンの下ごしらえ。
 オーブンなどで丸ごと焼き、丁寧に皮をむき四つに開く。内側の白い部分と種をとる。

 詰め物の準備。
 オイル漬けのツナ、塩漬けアンチョビ、ケイパーなどを細かく切ったあと、よく混ぜあわせ味を調える。準備しておいたピーマン1片にファルシーをのせ、巻き寿司の要領でしっかり巻き込む。
 食材全体が良く馴染むようにするには、一晩冷蔵庫で休ませる。こうするとよりおいしくなるようだ。

 それぞれの家庭ではよりおいしくなる工夫がされ母から娘へと引き継がれてきているのを聞くことがある。それは、ファルシーのなかにワインビネガーで浸したパンを加えてポイントをつけたり、または硬ゆで卵の卵黄だけを裏ごしして入れたりするなどだ。
 この時期、お招きいただくと大きなお皿に沢山並べられ、好きなだけ食べるようにと勧められる定番の前菜でもある。






ピーマンのオーブン焼き アンチョビ風味ツナのファルシー


                                                  野沢 寛夫

空気が澄み、遠くの山まで見渡せるところまで季節は進んできました。
すでに季節が移ろうと感じさせる空 
コスティリオーレ村、丘陵にかかる入道雲


 
二〇一一年春四月は気温の高い日が続き季節をひとつ飛び越したようであり、五月の半ばまでがそんな毎日であった。以来本格的な夏の到来まで例年に比べ雨の日も少なかったことから、ブドウにたいする消毒回数も三分の一で済んでいると報道されている。

 毎年八月も半ばを迎えるようになってくると、朝方など寒さを感じ薄い夏掛けが必要になってくる。
 霧が出始めるようになるのもこの頃からだ。



 昨日八日夜半から朝方にかけて強い風が吹き上空をきれいにしてくれたせいで、今朝は天高く秋を思わす抜けたような青空で万年雪を抱くアルプスをよく見渡すことができた。


 ワイン用黒ブドウ品種も先月の末ごろまではまだ緑色をしていた。この辺で多く栽培されているバルベーラ種の赤い色素もすっかり増してきた。このまま日中の強い陽射しを浴び続ければ糖分の値も高まってくるであろうから、九月の初旬には収穫を迎えることとおもう。



確実に秋が近くなっていることのひとつに時折霧が丘陵の下方から上がってくる。
丘陵の下から霧が上昇してくる


 
今日などブドウ畑では、しっかりと隙間がない健全な房だけを残す間引き、房にたくさんの太陽エネルギーが差し込むように、覆いかぶさっている枝葉を取り除く作業を行っている人たちを多く見た。
 マスカットやシャルドネー種など白ブドウ品種は来週末頃より収穫に入る。
 朝晩はしのぎやすくとも日中の陽射しの強さは痛さを感ずるくらいだ。ひと房づつはさみで切り取る作業は暑く重労働である。
 夏のバカンスは他の人たちのこと、畑のことを考えれば長期休暇をとることは望んでも無理な職業でもあるが、家族経営がほとんどであり会社勤めと違いわずらわしい人間関係と無縁にちかいことは、数少ないメリットといえるかも知れない。

野沢 寛夫



色素が増してきたバルベーラ種                                                       色素の増したバルベーラ種
 
クリスマス用品の購入

 コスティリオーレ村の郵便局で窓口業務をこなしているのは通常女性二人。勤務年数も永く、業務内容にも長けているベテランの人たちです。

 23日は、男性二人で窓口業務に対応。ひとりはここの局長。もうひとりは普段見かけない顔ですのでヘルプに間違いありません。たまたま私一人のときに入ってきたのが、快活な性格で人一倍声も大きい、ワイナリー・カシーナカストレットのマリウッチャさん。
 入るなり局内を見渡し、今朝はご婦人方はクリスマスの買い物に忙しく、ひまな男たちが仕事だね、のひと言。

 この朝の様子をみるまでもありませんが、12月に入るとクリスマスプレゼントになにを贈ろうかと頭を悩ます様子は、テレビのニュースやラジオのインタビューでも、季節到来ことしも外せない定番とばかりに流れてきます。

 ならば、この悩みを一気に解決しようと企画者は、目論んだのかは知る由もありませんが、12月初旬ミラノ郊外Rhoにある見本市会場に、メガサイズのマーケットが毎年開かれています。

 イタリア全ての州、つまり20州を二つのパビリオンに分け、海外からの出展者は国ごとにまとめたパビリオンという配置です。各州・各国のパビリオン内のブースの数が多く、手作り特産品やサラミ類やチーズなどの食品類、結果的には目的が決まらない人にとっては、選択肢が豊富過ぎ、さらに試食・試飲を繰り返していたら一日ではとても周りきれません。
 
 L'ARTIGIANO IN FIERA というのがこの催事名です。
 毎年12月第一土曜日から9日間、ミラノ 郊外Rho にある見本市会場で開かれています。
 入場料は無料、土日は10:00から22:30まで開いていますので、家族連れ、カップルなど幅広い層からの集客。その来場者数の多さ、賑わいぶりは、広い地下鉄の改札を出たところから、長い通路を通り会場入り口までが人の川のようになることでご想像ください。イタリアではあまり遭遇しない光景です。

 昔から優秀な裁縫師をおおく輩出しているナポリからは、Yシャツ専門店、バシリカータ州からは、素朴な色合いの焼き物を作る工房の作品、サルデニア州の珊瑚など多品種に及ぶ構成であり送る相手と予算を相談しながら選ぶことができます。

 また、イタリア全州の特産品が一同に見れる千載一遇の機会である、と捉えれることもできようとおもいます。例えば食の分野では、オリーブの実の収穫年2010年、プーリア州産のエキストラバージンオリーブ・オイルの出来具合を試してみることなども可能でした。

 各州こぞってレストランも開いていますので、郷土料理を味わうチャンスもあります。食事が出来る時間帯がはっきり決められていますのでこのことに注意が必要ですが、閉館が遅いので夕食もゆっくり食べることが可能です。

 最近は、イタリアの消費者も国産品メードイン・イタリーにこだわるようになってきていますので、安心して買えるところに、より人が多く集まって来るという事実背景もあるのではないでしょうか。

 十年を三回繰り返した以前、兄にベルトを贈ったことがありました。数年前ここに来たときにずいぶんと傷んでしまっていたのを思い出し、一本求め正月実家に戻ったときに渡したことがあります。

 イタリアの革製品は、いいなぁとひと言発しましたが、本人がもっているのは長年愛用してきたベルトだけだったのです。高いところが嫌いでイタリアに来ようとしない兄は元気にしているかと、今年も会場に入ったときに思いました。


 野沢 寛夫




プレゼーピオ

 ろうそくコーヒー抽出器

  

 

 
 
リゾットの旨さ。
 
  日本米に比べ、丈もながく、横幅もあるイタリア米を研がずに一気に鍋に入れたあと表面を乾煎りし、ブイヨンを回数を分けて少しづつ含ませていきながら火を通していくのがリゾットの作り方です。

 グリーンピース、アスパラガスなどの野菜系、イカ墨、ムール貝、ホウボウなどの魚介類、グラーナパダーノ・チーズやゴルゴンゾーラ・チーズを使えばこくと風味をつけたリゾットに仕上がります。しかし、作り方のプロセスは最初に記しましたことが基本であり、作る量が増えても変りません。

 米を研ぐあいだに水を含ませ、さらに必要な水をあらかじめ入れて炊く、日本の手法とは大きく異なります。炊いたご飯、とくに新米は艶がありもっちりしていてそれだけ食べても美味しいですが、粘り気の少ないイタリア米はパサパサしているため、何かで味を含ませないと美味しくは感じられません。

 このことから、米に含ませるブイヨンの良し悪しが美味しいと評価されるリゾットに大きな影響を与えるのは間違いないのと、一回に加えるブイヨンの量は米の表面ひたひたを守ること。米がブイヨンを吸い込んだらまた同じ量のブイヨンを足してあげることを繰り返していきます。

 この理由から米は大きく、含まれている水分は少ないほうがリゾットには向いているということになります。

  リゾット最適米と評価されているカルナローリ種でアルデンテに仕上がるまで18〜20分掛かります。最初に乾煎りするのはこの加熱時間中に米を割れにくくするためと、熱く炒られた米に、同じように熱いブイヨンを入れれば一気に液体を呼び込みでんぷんを出し始めてくれるためです。

 ピエロ・ロンドリーノさんが、もみを取らず1年または3年時間をかけて乾燥・熟成させる理由はここにあるのです。日本では、古古古と三度鳴けば鶏の餌と云われますが、ブイヨンの旨さを吸い込まさせるには必要な時間でもあったわけで、それにこだわった生産者が存在していたのです。

 まさに、新米の美味しさとは逆の食文化であろうとおもいます。

 説明のなかで3年乾燥・熟成米が一番リクエストある国は日本であり、理解して使ってくれる料理人も、召しあがるお客様もおられる日本へは一度だけ行きましたとピエロさんは話してくれました。
 
 ノバーラの近くにモモという可愛い名前の小さな町があります。
 ここでなければ食べられないリゾットをメニューに載せている、セルジョ・ズーインさんのオーベルジュがあるところです。

 19年前ICIF が生まれて間もないころ、私も含まれていた初回の日本人研修生23人がトリノの間借りの教室でこの国の郷土料理の教育を受けました。その際、リゾットの授業で教えに来てくれたのがズーイン・シェフであり、それ以来のお付き合いです。

 当時から派手さも飾り気も見受けられない料理人であり、濃くもなく淡くもない、季節を問わず一定の味覚を堪能させてくれる、本人そのままの性格が皿に表現されてきている印象をうけてきました。

 ズーインさんの作るリゾット・マカッレ、口に含んだとき白トリフの香りを漂わすブイヨンのこくに、米一粒づつが覆われている印象を受けます。
 フレッシュな香りからドライフラワー、ドライフルーツに変化を遂げ、香辛料の香りがほのかに感じられ、過ごした時間という熟成のあいだにまろやかな酸に変化した赤ワインを合わせれば、最後まで口の中はさっぱりとし、このリゾットを残さずいただくことができるとおもいます。

 リゾットは平皿に盛り、フォークで頂くのが基本というのもお伝えしたいことです。

 野沢 寛夫

 

  
ピエモンテ州、イタリア屈指と評されるステンレス製品製造の町へ。
 
 南ピエモンテのコスティリオーレ村から国境も近いことを示す道路標識が現れるマジョーレ湖のわきの町、オメーニャに世界的に名の知れたステンレス加工メーカーが集中しています。

 コスティリオーレからは、一般道、高速道路を利用して片道約180kmの距離。日本の例で示しますと距離を描けるとおもいます。東京から焼津と吉田のあいだくらいととらえてください。

 込み入った用事でなければ、それを済ませても、コスティリオーレから早朝に出発すれば約半日で往復できる距離です。 目的地まで移動する交通手段のなかで、車が一番時間を読めるというのも変わらぬイタリアの特徴です。

 きょうは走行距離、時間短縮を目的に途中のベルチェッリまで一般道を利用。
 アスティを過ぎ山あいの道をロバの裸乗馬(パリオ)で名を馳せるモンカルボの街をうしろに、ポー河を越すと、視界は一気に広角レンズ的な広がりをみせ、米作地帯に入ります。
 豊富なアルプスの雪解け水があつまるポー河支流一帯はイタリア最大の米作地帯です。田んぼに目を移せば日本と比較して一枚の大きさに心奪われるおもいもしてきます。

 道路標識画像にありますTrino の先には、NHK TV でも紹介されたリゾット最適米と評価されているカルナローリ種を有機栽培だけにこだわり、収穫後もみ付きのまま温度・湿度管理下のもとで1年熟成するものと3年熟成させるタイプに分け、米に含まれている水分をじっくり抜く時間の掛かる手法にこだわるピエロ・ロンドリーノさんの農家があります。

 ピエロさんのこだわりは、精米機にもあり、大きなスクリュー状の金属が玄米のなかでゆっくり回転し表面の糠を剥離していきます。

 米どうしが摺りあうなかで剥離された糠が精米の表面を磨いてくれる作用も行われるようになるのが、この一世紀前に開発された精米機の特徴です。精米に時間が掛かってもこれが一番としているご主人です。

 ピエロ・ロンドリーノさんの情熱は、カルナローリ米の有機栽培だけではありません。
 機械化が進むにつれ、親から譲り受けた大きな屋敷は季節労働者を必要としなくなり次第に荒れていく結果となるのはやむを得ないことでもありました。

 昭和27年に封切られた伊映画「苦い米」の舞台そのままの時代に踏み入れた錯覚に陥るほどの修復を、諦めず出来る範囲内で少しずつ実行に移していきました。
 その結果、農場に見学に来訪した人たちに深い印象を与えているレベルまでに修復されています。

 当時、多くの季節労働に携わった人たちは、ベネト州から来た女性たちでした。床から20センチくらいの低いベットが両脇に長く並び、プライベートな時間は求めても無理な環境での連日の農作業。疲れて寝ても暑い時期は蚊との戦い。

 案内され、この人たちが寝泊りしていた二階に足を踏み入れたときに、言葉にならない印象は忘れられません。
 決して一世紀前のことではないのです。最後にきた季節労働者は1970年始めと言います。
 僅か40年目までの現実です。
 
 きょうは、道路標識ポー河近く濃霧でベルチェッリ止まりとなってしまいました。

 野沢 寛夫
 


 
12月15日、一際冷え込みの強い一日でした。
 
 11月末から数回雪にみまわれたあと、溶ける気温になった日もあったり陽射しにめぐまれたりで、雪は陽の射さないところに少し残るだけとなっています。
 12月も半ばを迎えた今朝の最低温度はマイナス6度、日中もプラスまで上がることはありませんでした。

 ICIF料理研修施設のあるお城の中は、スペイン語圏から来ている研修生だけとなり、つい先日まで賑やかにしてくれていた日本からの調理師専門学校の学生もいなくなり、すっかり今朝の寒気が占めるようになりました。

 2009年11月末から2010年2月半ばまでの冬期間中、コスティリオーレ村において除雪車が出動する降雪が7回ありました。午前4時頃までに15センチを超える雪が降っていますと除雪車が出動。村役場から委託を受けている農作業用大型トラクターを所有している人が、前面で除雪、後方には大きな種まき用容器に粗い砂と塩が混ざったのを入れ散布、スリップ防止と雪を溶かしていきます。

 人々が動き出す時間までは、村内主要道路などは除雪が終了。ここ4〜5年は、雪に見舞われることが多く、イタリアとは思えないほど除雪体制もスムースに行われています。

 なんども降るこの雪がブドウ栽培とワインの個性作りに大きな影響を与えています。
 海底が隆起してできたこの地方の丘陵は、粘土質であるのが特徴です。雪がじっくり溶けて粘土質に浸み込んでいけば、地中海性気候のもと乾季である夏のあいだ雨が降らなくても、ブドウの木は枯れなくて済み、より特徴あるワインを作れる結果となります。

 直射日光のもとでは40度にも達する激しい環境におかれても、ブドウの木はしっとり湿った粘土に細く深く根を張り伸ばし、わずかな湿り気を幹に送るときに土に含まれているミネラルもしっかり吸収していきます。急斜面で畑の頂上部の木ほど自分が枯れ死しないためにも地中深く根を張る必要が生じます。その深さは、6メートルに達するものも有るといいます。

 このような環境の元で育ったブドウで作られた赤ワインは、ポリフェノールも豊富であり、飲んだあとの余韻が長く感じられ、骨格もはっきりしており、適した環境のもとで熟成をかければ将来が楽しみな個性を含んでいるのも多く造られています。
 
 ワイン用のブドウはもちろん平地で栽培することは可能です。水は高い処からひくいところへ流れてきますので、平地で栽培されるブドウは地中に深く根を張ることなく水分を得ることが可能な環境といえます。その結果、できたワインを飲んだ印象も平べったく個性をほとんど感じない、余韻がのこらないワインに仕上がってしまう結果となってしまいます。

 晩秋の雨季の時期に居座る前線がもたらす豪雨は、硬い粘土質の地域では地表を流れる鉄砲水となり、時には川が洪水を起こすこととなってしまいます。1995年11月6日この地域を流れるターナロ川が大氾濫をおかし、アスティ市を含む周辺一帯が大被害にあったのは記憶に新しいことです。

 画像にあります雪は、11月29日前日から二日連続で降った雪のブドウ畑です。この雪も今はすっかり土に浸み込み来年の乾季に備えています。
 夏、一番暑い7月においても丘陵地帯に植えられているブドウの木が一本も枯れず、いまだ青く小さい房に養分を送り続ける基でもあります。 
 

 野沢 寛夫ブドウ畑に積もった雪
 

 

 
雪がおちてきて、静寂のなかに季節は冬に移りました。
モノトーンの景色に変わりましたブドウ畑にある柿木 
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南ピエモンテ、アスティの朝市。
柔らかくなるように土をかぶせて栽培したカルド。バーニャカウダやグラタンにして食べる。南部プーリア産のアーティチョーク。新鮮なのは薄く切ってエキストラバージンオリーブ・オイル、ビネガーとでサラダに。ソテーしてよし揚げてよし。冬に欠かせない野菜の一種。隣のリグーリア州では調度今がオリーブの収穫時期。名産であるタジャースカ種。家庭での塩付け用。 
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